第2回 「左手」

 出勤途中の道端でなにやら怪しげな棒状のものを見つけた。僕は吸い寄せられるようにそれに近づくと、そっと持ち上げた。
 左手のようである。
 肩から肘にかけてのラインや、ほっそりとした長い指から判断するに、どうやら女性のものらしい。落とし主はさぞかし焦っていることだろう。このままでは茶碗を持つ手に困るはずだ。
 そう考えた僕は、携帯電話で会社に電話し、私用で遅刻する旨を伝え、右手にビジネスバッグを、左手に左手を持って駅前の交番へと向かった。
 暇そうに茶を啜っていた中年の警察官は、僕が拾った左手を差し出すと、眼鏡のブリッジを指で押し上げて「ほほう、ほう」と云った。
「これは、左手ですな」
「はい。さっき拾いました」
「落とした方はさぞかしお困りでしょうな。お預かりしましょう」
 その日は、仕事をしながらも、拾った左手のことが頭を離れなかった。無事落とし主の元へと戻るといいのだが。
 落ち着かない気持ちのまま仕事を終え、家路についていると、携帯電話が鳴った。出てみると先ほどの警察官からだった。
「左手の落とし主が見つかりましたよ。あなたに一言お礼が言いたいということなんですが、今から来られますか」
 僕は「今からすぐ行く」と答え、電話を切るのももどかしく、交番へと急いだ。
 そこで僕を待っていたのは例の警察官と、恥ずかしげに目を伏せたひとりの女性だった。彼女のノースリーブのワンピースからは、健康的な腕が二本ともしっかりと生えていた。僕はそれを見て思わず「ああ」と安堵の声を漏らした。あるべきところにあるべきものがきちんと収まったのだ。
 彼女は僕に近づくと深々と頭を下げた。
「この度は本当にありがとうございました。これでようやくナイフとフォークを同時に使えます。……お礼と云ってはなんですが」
 彼女が差し出した白い封筒を僕は受け取った。中を除くと、そこにはカブトムシの幼虫のようなものが入っており、ぐにょぐにょとうごめいていた。ありがたく頂戴することにする。 僕はもらった封筒をスーツのポケットに入れ、「ところで」と警察官に向きなおった。
「僕の左目、まだ見つかりませんか」

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