第5回 「牛は知っていた(問題編)」

「被害者は両腕で抱えるようにしてこれを握り締めたまま絶命していた。間違いありませんね?」
 杉本(すぎもと)警部は右手に持ったそれを第一発見者の前で振りながら、尋ねた。
「間違いありません。こういう場合、現場のものには一切触れてはいけないんでしょ。だから手にとって見たわけじゃないけど、あいつの腕の隙間からその派手なパッケージが覗いていました」
 通報者の川島修一(かわしましゅういち)の言うところによると、今日の午後一時半に被害者宅を訪れた際、いくら呼び鈴を押しても返事がないのを不審に思い、合鍵を使って家の中に入ってみると、この家の主人である大和誠二(やまとせいじ)が居間で事切れていたとのことである。後頭部がべっとりと血で染まっており、遺体の傍には大和が以前町内会のカラオケ大会で優勝したときに授与されたブロンズ製のトロフィーが転がっていた。被害者の命を奪った凶器はこれで間違いないとの報告を先ほど鑑識から受けたばかりだった。
 川島は大和の大学時代からの友人で、つい一年ほど前までふたりは殺害現場となったこの一軒家で同居生活を送っていた。もともとは大和の父方の叔父が所有する家だったが、その叔父が海外出張に出ている間、大和と川島に無償で貸し出しを許可してくれたのだ。大学の文芸サークルで知り合ったふたりは、ともに小説家になるという夢を持ち、卒業後も定職にはつかずアルバイトをいくつも掛け持ちをしながら、ひとつ屋根の下で投稿生活を続けていた。
 二年ほど続いたふたりの同居生活だったが、一年前に大和が某純文学系の新人賞を受賞したことにより終わりを告げた。まがりなりにもプロデビューを果たした友人に遠慮した川島が、友人の制止を振り切り、自ら同居生活にピリオドを打ち、出て行ったのだ。しかし川島はこの家の合鍵だけは、肌身離さず持ち歩いていた。それが死体発見の際に役に立ったというのも皮肉な話ではある。
「今日はあいつの新刊の発売が決まったので、その祝いにと、昼間からふたりでこの家で酒を呑むことになっていたんです。それなのに……」
 現場となった居間には、川島が調達してきたツマミの類が入ったコンビニの袋が落ちたままの状態だった。
「それで被害者がこういったものを後生大事に抱きかかえて亡くなっていた理由に、なにか心当たりは?」
 杉本警部の質問に、川島はしかし、ゆるりと胡乱に首を振るだけだった。
 杉本警部の手にあるものとは、駅弁の包装紙だった。
 
『仙台名物 牛たん埋め尽くし弁当』

 とデカデカとポップな文字で印字された包装紙の真ん中には、これまた極度にデフォルメされた牛のイラストが描かれていて、その顔からは二枚の大きな舌がだらしなく垂れ下がっていた。こんなグロテスクな絵を見せられて食欲が刺激されるものか、と杉本警部はげんなりした表情を隠そうともしていなかった。
 川島は言う。
「大和は学生時代から旅好きなやつで、時間を見つけては日本国中を飛び回っていました。貧乏旅行ですが、地方の駅弁を購入して道中で食べるのが唯一の贅沢だとよく言ってました。もともと収集癖のあるやつなので、駅弁の包装紙なんかもコレクションしてたんですよ。これはおそらくその中の一枚でしょう。たしかこのキャラクター『ギュウたん』とかいう名前だったと思います」
 川島の言うとおり、居間の茶箪笥の引き出しが開いており、その中に日本全国の駅弁の包装紙が丁寧に重ねて収納されていた。状況から見るに、犯人に襲われた大和は最後の力を振り絞って、この引き出しの中から、二枚舌の牛の包装紙を取り出し、それを両手で抱きしめるようにしてうつぶせに倒れ絶命したものと思われる。ただ、問題はなぜそんな不可解なことをしたのかということだった。さすがに親友とはいえ、これには川島も首をひねるばかりだった。

2

「川島が犯人だということは考えられないのか。同居生活の解消を、自分が遠慮したためだと本人は言っているが、実はプロデビューを果たした大和が 急に川島の存在が煙たくなり、追い出したとか。それを根に持っているのかもしれないぞ。あるいは単純に被害者の才能に対する羨望と嫉妬が動機かもしれない」
 川島にはひと通り事情を聞き、今日のところは引き取ってもらうことにした。その後杉本警部は、部下の中村(なかむら)刑事の耳元で自らの疑念を囁いてみたのだが、中村刑事はにべもなく首を振り、「だったら簡単なんですけどね。残念ながら違います。被害者の死亡推定時刻は午前十時から午前十二時の間です。その時刻、川島は町外れの耳鼻科でアレルギー性鼻炎の治療を受けています。うっかり予約を取るのを忘れてしまったらしく二時間半も拘束をくらったと愚痴っていました。平日の病院は年寄りがわんさか押し寄せるので、待合室で爺さん婆さんに囲まれて所在なげに座っている川島の姿を看護師たちが何人も目撃しています」
 それで合点がいった。川島の声がやけに鼻声だったのが気になっていたのだが、あれは風邪ではなく鼻炎だったのか。杉本警部はひとり頷く。
「なのでアリバイ成立です。ほかに容疑者になりそうな人物は今のところ浮かんでいませんが、被害者の交友関係を洗っている最中なので、じきになにか進展があるでしょう。それよりどう思いますか。あの駅弁の包装紙」
「ああ。被害者はなぜ駅弁の包装紙を抱きしめたまま死んでいたのか。うむ。はっきりと断言はできないが、これはもうあれじゃないか」
「そうですよね。あれですよね。いわゆる『死に際の伝言』」
 俗にいうダイイング・メッセージというやつだ。被害者が最後の力を振り絞り犯人の名前なり特徴なりをなんらかの方法で捜査陣に知らせようとした涙ぐましい努力の結晶。今回の事件では撲殺ということもあり、傷口からはある程度の出血があった。その血を自らの指につけて、床にずばり犯人の名前でも書いてくれていればことは簡単だったのだが、残念ながら現場となった居間には厚手の絨毯が敷かれていて、とてもじゃないが解読可能な状態で血文字を残すことはできなかったものと思われる。
 杉本警部は、むうと唸り、
「とりあえず包装紙のことは棚上げにしよう。容疑者が浮かんだ段階で、そいつの名前なり身体的特徴なりと結びつけることができるかもしれない」
 とそこへもうひとりの部下である井上(いのうえ)刑事がやってきて意外な報告をした。
「警部。ちょっとやっかいな状況になりました。この家なんですが、今調べたところ、各部屋の窓という窓が、すべて内側からクレセント錠が下りていました。あと外部と繋がっているのはキッチンの横にある勝手口だけなんですが、ここの扉は内開きなんですが、内側、つまりキッチンの側からつっかい棒がしてありました。また、川島が死体を発見したとき、玄関の鍵を合鍵で開けて入ったということですから、そのときこの家は密室状態だったことになります。そしてさらに面倒なことに、被害者が普段使っている鍵は……」
「居間のちゃぶ台の上に置いてあったな。俺もこの目でみた。おいおい、だとすると犯人はいったいどうやってこの家から外へ脱出したというんだ?」
 それを聞いた中村刑事が口笛を吹いて、
「ダイイング・メッセージだけでなく、密室も出てきましたね。これは息子さんのガールフレンド、なんと言いましたっけ、そうだ。よし子ちゃん。彼女向きの事件じゃないですか」

3

 その後の調べで玄関および、各部屋の窓のクレセント錠は、外側から針と糸を使って操作する余地はないことがわかった。古典的な手法での突破口は塞がれたわけだ。残す出入り口は勝手口のみだが、
「我々が発見したときのまま保存してあります。奇妙なことに、つっかい棒がしてあるでしょう?」
 井上刑事の言葉通りだった。それはなんとも不思議な光景だった。
 勝手口には靴を脱ぐスペースとして約一メートル四方の土間が設けられていて、キッチンの床とは、およそ十センチの段差があった。その段差部分と勝手口のドアを垂直につなぐようにして二本のこうもり傘が、まさにつっかい棒として噛ませてあった。上から見るとちょうど「目」という漢字 に近くなる。井上刑事によるとこの扉は内開きなので、この状態では扉は開かない。鑑識による指紋採取は終わったとのことなので、杉本警部は実際に手袋をした手で内側からノブを引いてみたがピクリとも動かなかった。
「鑑識によると、この二本の傘からは指紋を乱暴に拭い去った跡が発見されたということです。被害者自らこのようなことをしたとは思えない。犯人のしわざで間違いないでしょう」
「ドアノブの中心にボタンのようなものがあるが、あれが本来の鍵か?」
「そうです。おそらくあのポッチを押すことによりロックすることができるんでしょう。しかし現在は壊れてしまっていて、ボタンを押しても鍵がかからないんです。それで犯人は苦肉の策として、こうもり傘で代用したんでしょうね。なぜそこまでして密室にこだわるのかはわかりませんけど」
「玄関もだめ、部屋の窓もだめとなると、なんとかなりそうなのはこの勝手口だけなんだがなあ。どうだろうか、外からこの扉越しにつっかい棒をかける方法というのはないだろうか」
 杉本警部はふたりの部下にそう問いかけてみた。経験上、ひとりで考えても埒が明かない場合は誰かと議論することにより突破口を見出せる確率が上がることを知っていたからである。
 すると井上刑事はどこからか文具店で売っているような下敷きを取り出してきて、
「見てください。たしかに糸を通す隙間くらいはありますね」
 その下敷きを扉が閉まった状態で、扉の上辺と壁の間に挟み、それをそのまま滑らせる形で、Cの字を描くように同じく左辺と下辺の隙間にも通してみせた。確かにスムーズに動く下敷きを見る限り、扉と壁との間にはある程度の隙間はありそうだ。
 井上刑事の行動を目で追っていた中村刑事が腕組みをしながら、
「でも、閂なんかだと針と糸でなんとかなりそうな気はするけど、つっかい棒を扉の外からかけるってのは知らないなあ。山村美紗のミステリにつっかい棒を外からかけるトリックがあるにはあるけど、あれは引き戸だから今回のケースには当てはまらないし」
 とミステリマニアぶりを見せ付けた。それを受けて、こちらも中村刑事に負けず劣らずミステリ好きの井上刑事が、「扉そのものを丁番ごと外して、外に出てからまた丁番を止めるという大胆なトリックの可能性も考えたんだが、それも今回の事件の場合は当てはまらない。この扉の丁番は隠し丁番といって、ドア枠と扉の側面に、隠れるように取り付けられているんだが、内開きの扉のため、扉を内側に開けている状態じゃないと丁番をつけることができないんだ」
とまたマニアックなことを返してきた。通常屋外へと直接つながる扉は外開きであることが多いが、この家の勝手口の扉はなぜか内開きだった。そして井上刑事の言うとおり、確かに丁番の存在はわからない。扉が閉まった状態だと、ドア枠と扉本体に挟まれる形で、丁番そのものが完全に隠れてしまうのだ。
 その後も三人で、あれやこれやと勝手口からの脱出トリックを模索してみたものの、これぞという意見はついに出なかった。それどころか、その後の聞き込みで、この議論そのものの存在意義を無にしてしまうような重要な発言が飛び出した。

4

「絶対間違いないね。あたしゃこう見えても目だけはいいんだ。あの扉が開くことは一ミリたりともなかったよ」
 現場となったこの家には裏庭が存在せず、勝手口の外は幅の狭い道路が左右に延びていた。その道路を渡ったすぐ目の前に古びた煙草屋があるのだが、そこの店主である石田(いしだ)梅子(うめこ)という九十歳の老婆が、偶然、犯行時刻に現場の勝手口を外から見張っていたというのである。このところ客足も途絶え、店番をしていても退屈で仕方がないのだそうだ。大和が出てきたら捕まえて強引に話し相手にしてしまおうという心積もりだったらしい。
「見張っていたといっても、ずっとというわけではないでしょう」
 中村刑事がさも呆れたというように問いかけても、老婆はかたくなに首を振り、
「いんや。ずっとさ。店をあけた九時から昼の一時くらいまでずっと見張ってた。こちとらやることがないんでね。年寄りの集中力を馬鹿にしちゃいけないよ。その間は扉は開かなかったよ。もちろん外からあの勝手口に近づいた人間もいやしない」
 中村刑事は困った目で井上刑事を見た。井上刑事も困った目で杉本警部を見た。杉本警部は黙って天を仰いだ。
 
5

「というわけでね、犯人がどうやって現場となった家から脱出したのかがわからなかったんだ。勝手口は内側から傘でつっかい棒がされていただけでなく、外側からは梅子婆さんがずっと見張っていたというんだからね。ここからはどうやっても出入りできそうもない」
 そう言って父さんは風呂上りのビールをうまそうに飲んだ。はい、お疲れ様。
 僕の名はエージ。どこにでもいる小学校六年生の健康優良児。父さんは警視庁捜査一課の警部殿で、日々世界平和のために闘っている、と父さん自身が言っている。
 帰宅後風呂から上がった父さんは、食後に宿題を片付けている僕を強制的にダイニングへと連れ戻し現在抱えている事件の話をしだした。いくら身内とはいえ、捜査中の事件のことをべらべらしゃべってもいいのだろうか、とこっちが心配になってくるし、そもそも未解決の事件を放り出して自宅でビールを飲みながら寛ぐという行為自体がいかがなものかと思うのだけど、それを言うと毎回「父さんはいいのです」と根拠のない返事が返ってくるだけなので、今ではあまり深く考えないようにしている。今、毎回と書いたけど、このようなことは頻繁とまではいわないまでも、一年に数回のペースで起きる。僕を呼んでわざわざ事件の話を聞かせるのは、その僕を通してよし子ちゃんに事件の詳細を伝えたいからなのは目に見えている。
 よし子ちゃんとは僕の同級生で、警察も匙を投げた難事件を、話を聞いただけでたちどころに解決してしまう名探偵でもあった。
 僕はダイニングテーブルに頬杖をつきながら、向かいに座るパジャマ姿の父さんを見て言った。
「ほかの出入り口は玄関だけなんだよね?」
「そう。その玄関も鍵が掛かっていて、鍵は居間のちゃぶ台の上に載っていた。合鍵は発見者の川島が肌身離さず持ち歩いていたが、この男にはしっかりとしたアリバイがあるので犯人ではない。玄関以外には窓がいくつかあったが、すべて内側からクレセント錠が下りており、これらの鍵は外側から操作してロックするのは不可能であることも実験ずみだ」
 密室殺人か。父さんが言うとおりの状況だったのなら、確かに犯人は現場から逃げることができないはずだ。だったらいっそのこと発想を転換させてみればどうか。
「ねえ。犯人が現場から逃げることができなかったのなら、犯人は現場から逃げなかったと考えてみればどう?」
「今も言ったが、川島にはアリバイがあるぞ」
「そうじゃないよ。川島さんが犯人だって言ってるんじゃなくて、犯人は別にいて、その人は犯行後現場から逃げなかった。言い換えれば今も現場にいて、警察が引き払うのをじっと息を殺して待っているってことは? その家に天井裏とか床下などの、人が長時間隠れることができるスペースはないの?」
「んー。我が息子ながら発想は面白い。しかし残念だが、もちろんその辺は抜かりなく調べてあるさ。中村刑事が『屋根裏の散歩者だ』と喜びながら天井裏を這いまわっていたが、犯人とのご対面とはいかなかったようだ。それと、あの家に地下室はない。隠し部屋もない。中に人が隠れられるような革張りの椅子もない」
 そうか。盲点を突いたいい発想だと思ったんだけれど。じゃあこういうのはどうだろうか。
「実はさ、殺人のように見えて事故だったとか。なにかの拍子に棚に飾ってあったトロフィーが落ちてきて、たまたま運悪くその真下にいた被害者の後頭部を直撃しちゃったとか。これだったら犯人なんて最初からいなかったわけだから、密室の謎も解明できるんじゃない?」
「できないよ。勝手口のつっかい棒を忘れたのかい? あのこうもり傘には何者かが指紋を強引にぬぐった形跡がある。明らかに第三者の意思が働いている。それに被害者が残したダイイング・メッセージのこともある。第一、事故死や自殺ではないことは、鑑識の調べで決定しているんだ」
「そうか。そうだよね。でも、そもそもの根本的な問題として犯人はどうして現場を密室にしたんだろう」
 変な小細工などせずさっさと逃げてしまったほうがいいような気がする。
「おそらくだが、犯人はアリバイ工作をしなかったんだろう。現場にあったものが凶器として使われたことから考えて、犯行自体が突発的なものだったのではないかな。こうもり傘だけではなく、凶器をはじめ、現場のあらゆる箇所から指紋を拭った形跡が見つかったんだ。犯人が手袋を用意してこなかったことの証拠だと思う。だとすると少しでも長い間死体は発見されないほうがいい。発見が遅れれば遅れるほど正確な犯行時刻を特定しにくくなるからね。鍵をかけたのは誰かが訪ねてきても留守だと思わせるように。それからもうひとつ、あのあたりは最近空き巣事件が多発している地域なんだ。偶然あの家に空き巣に入られて死体を発見されるのを防ぐためだろう……、というところが捜査本部としての見解だ。実際のところは犯人を捕まえて聞いてみなければわからないが」
 そのときだった。テーブルの上に置いてある父さんの携帯電話が軽やかなメロディを奏でた。ディスプレイを確認し電話を取った父さんだったが、相手と話すうちにみるみるその顔が厳しいものに変わっていくのがわかった。ほぼ相手の話に相槌を打つだけなので話の内容はよくわからなかったが、話は数十分にも及んだ。その間僕は、席を離れるわけにもいかず、黙って父さんの電話が終わるのを目の前で待っていた。
 やがて電話を終えた父さんは僕の顔を見つめ、ぽつりと一言漏らした。
「密室の謎が解けた」

6

 翌日の放課後、僕は図書室でよし子ちゃんと向き合って座り、父さんから聞いた事件の話をしていた。閲覧室には僕たちふたりのほか誰もいない。よし子ちゃんは僕の話を脳の半分で聞きながら、もう半分の脳で『赤毛のアン』を読んでいた。
「で、その密室の真相っていうのが笑えるんだ。なんとあの家の合鍵はもう二本あったんだよ。そんなシンプルな回答に父さんたち思い至らなかったみたい」
 僕が笑いをこらえながら言うと、よし子ちゃんは、本からちらりと視線だけを上げて「そんなことだろうと思った」と言った。「現実の密室なんて所詮はそんなものよ。トリックだなんだといって騒ぐから、一番シンプルな答えが見えなくなるんだよ」
 昨日、父さんが家でビールを飲みながら寛いでいる間も、当然、事件の捜査は行われていたわけで、被害者の交友関係を洗っていた渋谷(しぶや)と井ノ口(いのくち)という刑事が動機を持つ人間を二人割り出した。かつ二人とも現場となった大和宅の合鍵を所持していることを認めたのである。隠し立てしてあとでばれたときに心証がぐっと悪くなるからだろうが、犯行そのものはふたりとも否認している。
「昨日の夜電話で呼び出しがかかって、父さんはそのふたりの事情聴取に立ち会ったんだけど、印象としては二人のうちのどちらかが犯人だとほぼ確信したらしい。だけど決め手に欠けるんだって」
 僕がそう言っても、よし子ちゃんは「ふーん」と言ったっきりで本から顔を上げようとしなかった。最近どうも態度がクールになってきたというか、以前のようなあどけなさが薄れてきたというか、よし子ちゃんの言動が大人っぽくなってきた気がする。男子に比べて女子のほうが成長が早いというのは本当なんだね。
 そんなよし子ちゃんのつれない態度にもめげずに僕は話を続けた。
「ひとりめの容疑者は縄田光(なわたみつ)成(なり)といって、小説誌の編集者をしている。彼は被害者の大和や川島と同じ大学の元サークル仲間で、現在は中学館という大手出版社で、リボンクラブという少女小説専門誌の編集者をしている。賞を取ってデビューしてからも商業的にはあまり成功しなかった大和を見かねて、畑違いの仕事でよければ、ということで少女小説の仕事をまわしてやっていたそうだ。原稿を取りに来たり、ときには寝食を忘れて執筆する大和のために食事をつくってやったり、洗濯を代わりにしてやったりしていたそうだよ。その関係で合鍵は渡されていたそうだ。とても仲のいい友人関係を築いてきたらしいんだけど、ある日、縄田の彼女に大和がちょっかいをかけたのがきっかけで関係が悪くなったらしい。恋愛が絡むと人間って変わるよね」
 よし子ちゃんは再び、ちらりと本から視線を上げ、僕を上目遣いに睨んだ。余計なことは言わなくていいから話を続けろということらしい。読書に集中したいのだ。
「ふたりめの容疑者は滝沢(たきざわ)聡(さとし)というデザイン関係の専門学校に通う二十歳の青年。数ヶ月前に大和が運転する車が前方不注意により事故を起こした。その際被害にあったのが滝沢だったそうだ。さいわい命に別状はなかったけど、頭を強打し、全治数ヶ月の入院生活を余儀なくされた。保険金はもちろん降りたらしいんだけど、事故がきっかけで滝沢は脳に障害を抱えることになったんだって。大和は反省の色こそ見せたものの、滝沢が入院している病室には一度しか現れなかったそうだ。その際に、現場となった家の合鍵と、病院から家までの詳細な地図を描いた紙を滝沢に渡し、『退院したら訪ねてくるように。できるだけのことはするから』とうすら笑いを浮かべたそうなんだ。それが滝沢の神経を逆撫でしたんだろうな。そのときの様子を、滝沢と同室の入院患者が目撃していた。そして事件があった日が、ちょうど滝沢が退院した日だったんだよ。これって偶然にしてはできすぎてない?」
 僕が言葉を切ると、よし子ちゃんはようやく読んでいた本をパタンと閉じて、僕をまっすぐに見つめた。
「ふたりともに、アリバイはないのね?」
「そう。縄田は犯行時刻には人の出入りが激しいファーストフード店をはしごしながら、担当作家の原稿を読んでいたというし、滝沢は病院を出たあと、大和の家を訪ねようかどうしようかと逡巡して近くまで行ったそうなんだけど、結局のところ道に迷ってしまったらしく、その日は諦めて一人暮らしのマンションに帰ったらしい。ふたりともに、アリバイを証言してくれそうな人物はいない」
 僕の言葉に、よし子ちゃんは瞬時に頷き返し、こう言った。
「下校時刻までに本を読み終えてしまいたいから、今から犯人を指摘するわ。聞いて」

――解決編に続く。

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